Voice
デザイナーの理想と現実

デザインの成果はそのプロセスが導き出す
どこかで見た覚えがあるデザインをたまに見る。
盗作だという人もいればオリジナルだという人もいる。
客観的な観点で、共通点が多いほど裁判では不利に働くという。
結果だけに目を向けるのではなく、デザインはそこに行き着くまでのプロセスこそ重要で目を向けるべきである。
成果物に対する制作プロセスの説明ですべてを払拭することは難しい
2020年に行われる東京オリンピック。
当初は競技場の問題をはじめ様々な問題を抱え、
まったく前途多難に感じられた。
中でも問題視されたのは、エンブレムを考案したデザイナーの作品が盗作なのではないかと疑惑が持たれた事案。
大きなイベントなどが行われると結構ありがちな問題である。
もとは海外のデザイナーによる訴えで、マスコミの報道によりネット上では大炎上で一気に広まると「ぱくりデザイナー」などと不名誉な呼ばれ方までされる始末だった。
エンブレムのデザイン自体が似ているかどうか、それは各人の感じ方によるものが大きく、
一見してデザイナーがピンポイントで真似て作ったとは言いがたく、その判断はなかなか難しい。
また、デザインの成果物につながるプロセスにおいて真似たのかオリジナルなのか、どのようなプロセスを経て結果につながったのかを説明しても、それで全てを払拭できるのかも難しい。
世に存在するほとんどすべての事物は過去から拝借した英知の結晶
生活の利便性を飛躍的に向上させた各種家電製品や交通インフラの整備など、以前から比べればかなりの進歩を遂げている。
これは過去の失敗や成功、様々な実験や研究などを参考に繰り返し改良され続けた結果であり、急にできたものではない。
つまり、ゼロからは何も生まれないということである。
たとえノーベル賞を受賞するような素晴らしい研究結果であっても、過去に生まれた数多くの研究成果をはじめ様々なアイデアなどが存在するからこそ生まれるのであって、全く情報も何もない状態からは生まれることはない。
これはデザインの分野においても例外ではない。
自分がデザイナーになった当初は蓄積されたアイデアなどはなく、日々デザインのストックを増やす作業をしながら少しずつ自分のオリジナリティを確立していくのである。
しかし、オリジナリティといえどもすべてヒントをもとにしているため、完全なオリジナルなど存在しない。
そしてヒントとして好きな作品を見つけても、その一部分や全体の雰囲気を引用することはあっても、ほとんどすべてを真似ることは絶対にしない。
それは、少なからずデザイナーとしてのプライドが存在するからである。
つまり、「オリジナルデザイン」といえども自分のストックから創造される以上、やはりどこかが何かに似通ってくるのが当然とも言える。
十分理解されていないデザイナーという職業にも問題があるのか?
「デザイナーということは絵が上手いんでしょ?」
「デザイナーってかっこいいね!すごい!」
デザイナーという職業は一般の消費者にあまりしっかりと理解されていないと感じる。
仕事内容はよくわからず響きだけでかっこよく思われているが、実際には考えることが多く地味でしんどい作業がほとんどである。
本来であれば「これだけ苦労した」とか「ここにこんなこだわりが」などと説明したいところだが、消費者は結果しか見てくれない。
こんな結果だけを見て良し悪しを判断する消費者に対し、デザインの行動プロセスや考え方などの方法論をできるだけわかりやすく説明しても、おそらく理解してもらえないだろう。
当時オリンピックのエンブレムを制作するにあたっては、デザイナーは何も参考にせず自分の頭の中だけで考え出したとは到底思えない。
必ず数多くの参考文献や作品集などに目を通し、自分の中にあるアイデアを広げる作業をしたはずである。
そうしなければ良いアイデアを生むことにつながらない。
その作業の中で、自らの記憶を通して最も印象深くアイデアに沿った図案がまさに盗作だとされた作品に近かったのではないだろうか?
結局この図案が盗作であったのか定かではないが、後になってその他の作品においても疑わしい作品の存在が確認されており、完全オリジナルの作品であった、とは言い難いと感じている。